オーストラリア人の夫を持つ、現在オーストラリア在住のまあやです。
国際結婚をしたらどんな生活になるの?
大変なことってなんだろう?未知すぎて想像がつかない
そんな国際結婚に興味のある人へ向けて国際結婚の光と影をオーストラリアから発信していきます。
経歴
生い立ち
一般会社員の父親と専業主婦の母親の一般的な家庭に生まれ、特にこれといって秀でたこともなく大きくなりました。
ちょっと特別な結婚観といえば、親から「あなたの名前は名字との組み合わせが運を呼ぶのよ」と言われ、名字が変わってはいけないんだという認識を持ってしまったということです。
名字を変えられない=結婚してはいけないと思い込み、1人でも生きていけるよう一般的に高校受験をし、大学に入り、出世を目指して一般企業で精一杯働くことを心がけました。
オーストラリア人の夫との出会い
社会人にも慣れて、転職を2回ほどするものの、結婚の選択がなかったわたしの人生で仕事が1番の生活は変わりませんでした。
しかしそんな中、同じ職場で働いていた今の夫と出会います。
実は他にも外国人が数名いる職場だったのですが、とにかく外国人との仕事は嫌いでした。
外国人とは仕事に対する考え方が合わずにイライラさせられっぱなしだったからです。
時間にルーズ、ちょっとのことで仕事を休む、辞めるなど、あげたらキリがありません。
仕事に人生の重きを置いていた私にとっては特に気に触ることが多かったと思います。
社内で外国人と恋愛関係になる人がいる話を聞いてゾッとしていました。
しかし、人生は不思議なものですね。
そんな私はオーストラリア人の夫と出会い、外国人ではなく1人の人間として惹かれ、結婚し、今はオーストラリアで2人の子どもと4人で暮らしています。
結婚までの道のり
わたしとオーストラリア人の夫との結婚までの道のりはそう遠くはありませんでした。
付き合って1年半、出会ってからは2年で国際結婚です。
ちなみに、付き合って1年経たない頃に同棲を始めて、2ヶ月後には「結婚したい」と思っていました。
あの「結婚したら名字が変わるため結婚できない」と思っていたわたしがです。
その名字も結婚するのだからと迷わず変えました。
「運」はまだ続いているのでしょうかね。
国際新婚生活 in JAPAN
夫とは日本で出会って結婚しているので、そのまま日本での国際結婚生活がスタートしました。
子どもについては特に急いで望んでいるわけではなかったので、お互い仕事を中心に、2人の生活を楽しんでいる状態が続きます。
わたしは結婚後も仕事に対する意識が高かったので、家にいる時間の長い夫が料理を含めた家事全般をやってくれていました。
その頃は、大手結婚相談所の婚活アドバイザーをしていたので土日祝日がなく、土日祝日休みの夫とはまったく休みも合わないまま数年間も過ごします。
しかし、東日本大震災を期に仕事に対する考え方が変わり、子どもを持ちたいと思うことで生活が変わりました。
第一子出産 in Japan
会社を辞めて、程なくして第一子に恵まれることができました。
とにかくつわりがひどかったので根拠はありませんが「血縁からほど遠く離れた外国人の血入ってきて、〇〇さん(わたし)の体が異物扱いしているしているかもね」なんてお医者さんに言われて励まされたこともありました。
夫と私はもちろん似ていないので、どんな子どもが生まれてくるのか想像もつきませんでしたね。
それと、なんとなくハーフの子どもというプレッシャー…
無事、予定日2日前に3千グラムちょっとの黒髪ふさふさでやや色白の男の子が誕生しました。
ちなみにアジア人特有の蒙古斑はなかったです。
第一子子育て in Japan
初めての子育て育児がスタートしました。
夫の実家からの応援はもちろんなく、わたしの実家からも遠かったので、普通に3人での生活です。
子どもは手のかからないほうだったと思います。
ただ、初めての子育てと、子どもの育て方の文化の違いで夫とは意見が合わないことがありました。
実は、それまで夫と喧嘩という喧嘩をしたことがなかったのですが、子どもに関して考え方の違いにお互い譲れないことが増えたんですね。
例えば添い寝です。ベビーの頃から自分の部屋で寝かせるのが当たり前なので、日本式の添い寝はダメだとか。窒息させてしまう事故もあったというニュースの記事を根拠として見せられたことがあります。
オーストラリアは大柄な人が多いですよ?原因はそこじゃないですか?
完全母乳も不満だったようです。
我が子は曲線ギリギリサイズで少し小さいかもというレベルだったので、成長を気にした夫は速攻ミルクを勧めてきました。
オーストラリアは産後も仕事復帰するママが多く、子育てはママの仕事というよりできる人(祖父母、叔父叔母含め)がやる環境が当たり前。完全母乳だと、他の人間が世話ができないというのもあり、混合またはミルクのみの家庭も多いからです。
わたし自身、ミルクに抵抗があったのと、母乳だけでやっていけたのでそこは意見がぶつかりましたね。
それだけ子どものことを考え、想像以上に夫が子育てに意欲的だったことが誤算ではありました。
子育て in Japanから in Australiaへ
夫から「オーストラリアに引っ越さない?」という提案から人生が大きく変わり始めました。
日本で子どもを育てることに不満はなかったようですが、オーストラリアへ帰って働きたい気持ちが強くなっていったようです。
オーストラリア人と結婚したので、日本以外に住む可能性がゼロではないとは思っていましたが、こんなにも早くしかも唐突にくることは…
戸惑いました。
しかもそのとき2人目を妊娠していたからです。
1人目と同じようにつわりはひどく、このまま何があるか分からない状態でオーストラリアでの出産は不安しかありません。
出した結論は、今お腹にいる子を日本で出産してから移住することで合意になりました。
しかし仕事探しを始めると、あっさりと夫は1社目で決まってしまったため、夫はこの合意から1ヶ月後に帰国、わたしと上の子、下の子は出産後のほぼ一年後に移住することに。
オーストラリア生活の違和感
夫は日本にトータル10年ほど住んでいたので、日本語ペラペラの外国人でした。
日本にいるときは会話も日本語がほとんどだったので英語にもオーストラリアにも嫌悪感はありませんでしたが、移住してからは違います。
夫は英語が中心になり、なんだか別人に…「英語を話す人と結婚したつもりはないのに…」というくらい夫と英語が結びつきませんでした。
さらに、移住したときは下の子が生まれて2ヶ月だったため、子育て育児の大変さも重なり2年くらいはオーストラリアに馴染めず、ほぼ記憶がありません。
想像を超えた英会話への嫌悪感。元々英会話レベルは高くなかったので、上達するどころか、話すのも嫌になっていきました。
それに輪をかけて畳み掛けるような義家族との交流。
オーストラリアでは当たり前であっても、馴染めないしそもそも義家族に時間を取られることがいやでたまりませんでした。
そのことで夫とは子育ての考え方以上にぶつかることが多くなり「何もかもオーストラリアに移住したせいだ」と考えるようになります。
そうなると余計に日本が恋しい。
国際結婚をして「実家に帰らせていただきます」と言えないことがつらかったです。
勢いだけでは日本の実家へ帰ることはできませんし、ハーグ条約もひっかる可能性があるので、言ったところでハッタリにしかなりませんからね。
気持ちの変化
しかしだんだんと気持ちに変化が現れます。
きっかけは子どもの成長ですね。
移住したばかりの頃は、頼る人も夫しかおらず、義家族は理解できない異国民としか思えず、ストレスは溜まる一方でした。
生活の行動範囲や交友関係も狭く、他のものに目を向けることができなかったのだと思います。
しかし、きっかけとして子どもが幼稚園に行き出してお友達ができ、現地の子どもやお母さんと接点を持つようになり、打ち解けるようになったことが大きいです。
子どもが仲良くしている子のお母さんとも仲良くなれたらいいなと自然に思えました。
しかし、まだ抵抗感もあります。変な英語で話す変な日本人って思われていないかなという恐怖です。
自分の印象で子どもも変な子って思われないか…そう考え始めたら英語も話せなくなります。
だから恐る恐る接していきました(笑)
それでも、恐る恐る接していくうちにわかったことがあります。
私の行動で子どもが変な子と思われるどころか、子どもの印象で、「あんないい子のお母さんだから」とポジティブなレッテルを貼ってくれていることです。
子ども同士が仲がいいのもありますが、子どもでも1人の人間として見てくれる暖かさがこの国にはあります。
私自身も、子どもを1人の人間として興味が持てるようになりました。
子どものおかげで私の気持ちがオーストラリアに踏み込んで行けるようになったみたいです。
行動の変化
オーストラリアに移住して小さく端っこの方で生きていた私にも、日本人のお友達が少しづつ増えていきます。
平日の午前中に、未就学児の子どもをつれて遊ばせるコミュニティーをプレイグループと呼びますが、その日本人プレイグループに通うようになったことで交友範囲が広がりました。
そもそも「プレイグループ」の存在を知らず、たまたま子どもを遊ばせに行った公園でお友達になった日本人ママに教えてもらったくらいです。
その「公園でお友達になる」も初体験。「日本人ですか?」から始まり、子どもを遊ばせながらどの辺に住んでいるのか、オーストラリアは何年住んでいるのか、どんなバックグラウンドがあり、パートナーは?子どもの生活スタイルは?などなど。初対面なのにかなりの情報交換をし合いました。もちろんラインも交換して「今度遊びましょー」で解散。
日本では考えられない友達の作り方ですが、珍しくはありません。その後公園パターンで2人友達になり、その友達に自分がプレイグループの情報を広げてさらに友達も増えていきました。今でも「初お友達」とは子どもの成長とともに仲良くさせてもらっています。
日本人のお友達が増えると大きく2つのいいことがあります。
- 情報が入ってくるようになる
- 気持ちを共有できる
こんなことで困っている→あの人に聞いたらわかるよ
あそこなら日本食材が安い、地域的にあそこはやばい、など英語では入ってきづらいリアルな情報です。
情報は掴みに行かなければ手に入りませんが、掴みにいく方法が分かりませんでした。
移住してからはなんせ根暗ですからね、情報が欲しいとも思っていませんでした。
もう1つは、気持ちを共有する場ができたことです。
夫には移民してきた外国人としての私の気持ちを理解することはできないですからね。(己は自分の国に帰ってきてヤホーイ)
「そうそう、それそれ、そうなんだよね!」そう思ってくれる友達がなんとありがたいことか。
友達が増え、情報が入ってきたことでこの国に対応して生き抜く方法がなんとなくわかってきました。
息をふき返した私がやったこと
自分のやりたいことを探してできることから手を出しました。
2人の子どもが小学生に上がり、手が離れたことで自分のことを考える余裕が生まれたのでしょう。
習い事してみたかったな→和太鼓はじめました
パソコンを使った在宅の仕事をしてみたいかも→Webライターに挑戦
英語の勉強もしてみよう、オーストラリアで働いてみようかな
やりたいからと言ってすぐにできないものもあります。もちろん気合いだけでなんでもできるわけがないからです。
ただ、寝かされて手足をバタバタしているだけだった新生児が、寝返りをして向きをかえ、あの先にあるものが欲しいとずり這いをし始めたくらいの成長はあると思っています。

それでもできない英語
オーストラリアに移住して6年。夫はオーストラリア人ですが、英語はできません。
学生の頃は英語が好きで、英文学部に所属をし、アメリカに2度も短期留学をした経験があります。
もう無効ですが中学高校英語教員免許も取得しました。
それなのに英語は話せません。
あんなに勉強して覚えた英単語も忘れてしまっているのです。
そして極めつけがオーストラリアのなまり英語。なまっていることもありますが単語も違います。
はじめは「オーストラリアっぽくってかっこいい」などと、好奇心いっぱいに単語も覚えようとしていましたが、今では元々の単語を忘れるきっかけにすぎないと感じつつあります。
例えば
Thank you(ありがとう)
に対して
You are welcome(どういたしまして)
というのが一般的ですよね。
しかしオーストラリアでは
No worries(どういたしまして)
で返すことも多いです。
と言われてもアラフォーの頭はパンクします。
しかも「オーストラリアの英語」を使わないとますます英語ができない気がしてしまうんですよね。
だからなおさら英語が嫌いになり、オーストラリアが嫌いになり、負のループにハマっていきました。
それでも笑顔で生きる方法があります。
国際結婚をして英語ができないまま海外生活をすることになっても、笑顔で生きる方法を教えましょう。